こんにちわ貴浩です!
今回は小久保祐紀選手の電撃、無償トレードの真相についてのお話です!
球界を揺るがすニュースとなった小久保選手の無償トレード。
日本一になった直後、不動の4番打者の無償トレードは選手の評価を覆す事態となりましたがこうした出来事が起こった裏側について見ていきます!
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小久保選手のプロフィール
生年月日 1971年10月8日 出身 和歌山県和歌山市 出身校 和歌山県立星林高等学校、青山学院大学 182cm/87kg ドラフト2位
1994年、ルーキーイヤーだった小久保選手はダイエー時代、ホームラン王や打点王を獲得し
オールスターにも選出。
3年連続30本塁打を放つなど不動の4番打者として活躍、チームを日本一に導きました。
2003年、巨人に電撃無償トレードで移籍。
3年間プレーするも、怪我により3年目のシーズンは制裁を欠く結果となりチームも2年連続Bクラスに。
その翌年はFAでソフトバンクへ移籍。
3年ぶりの古巣復帰となりました。
その後6年間をソフトバンクでプレーし、2012年に引退。
引退となったその年の6月24日には2000本安打を記録しています。
スポンサーリンク無償トレードで巨人に移籍は何故起こった?
2003年にダイエーから巨人へと移籍する事になった小久保選手。
直前までは3年連続30本塁打を放ち不動の4番を務めて日本一にも輝きましたが小久保選手に無償トレードが成されたのは何故か。
言われているのが球団との確執や高年俸で雇い切れなくなったなどです。
小久保選手が治療費2000万を自費
2003年のオープン戦で小久保選手は
右膝の前十字靭帯断裂・内側靭帯損傷・外側半月板損傷・脛骨と大腿骨挫傷という重傷を負いました。
当初、球団と小久保選手で話し合いが行われ療費は球団が見るから一刻も早く怪我を治して欲しいとなったそうです。
小久保選手はアメリカで治療を行い、早期復帰を目指しました。
しかし、球団は突如、治療費は出せないと意見を変え、
小久保選手は話が違うと怒りを露わにし、自由契約、他球団への移籍を申し出た、というのが一連の流れのようです。
小久保選手自ら自由契約にしてくれと球団に話し、無償トレードとなりました。
無償トレードの理由についてはダイエーのオーナーが「金銭トレードの分を小久保の年俸に上乗せするよう」巨人側へ伝えたからとされています。
ダイエーの経営破綻
小久保選手は当時、4番として活躍していた事もあり年俸2億とかなりランクの高い選手でした。
しかし、ダイエーは経営が芳しくなくかなり厳しい状況にありました。
ダイエーは本業のスーパーのみならずホテル、遊園地、プロ野球などあらゆる業界に手をつけて来ました。
しかし、不慣れな業界での事業が上手くいかず経営は難航。
また、専門店が台頭し始めたのも逆風となりました。
20世紀、ダイエーは食品、衣料品、電化製品などを一挙に扱う新たな経営は革命的でした。
しかし、専門店が台頭した事により、全てを備えるも全てが中途半端な状態で
「何でも売っているけど、(欲しいものは)何もない」と揶揄されるようになってしまいました。
そうした苦しい状況もあり、プロ野球にも悪影響が及び、小久保選手も高年俸の為、雇えなくなった訳です。
小久保選手は人気選手でグッズの売り上げもあったとは思いますがそれでも苦しい事に変わりはなかったのかもしれません。
まとめ
今回は小久保選手の無償トレードについてのお話でした!
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