阪神・井上広大 母子家庭?父親は?家族想い!エピソード!

阪神タイガース
出典元: https://www.sanspo.com/smp/baseball/photos/20200309/tig20030914460011-p1.html
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今回は阪神タイガースの井上広大(こうた)選手についてのお話です!

プロ入り1年目の10月16日にはプロ初ヒットである二塁打を放ち、1打点を挙げてお立ち台に立ちました。

お立ち台でアナウンサーに「この安打は誰にまず伝えたいですか」

という質問に、

「お母さんです」

という井上選手の言葉が印象的でした。

なので、今回は井上選手の家族構成についてや、父親の所在、弟についての他

井上選手の性格や家族想いのエピソードについて見ていこうと思います!

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目次

井上選手のプロフィール

生年月日 2001年8月12日

出身 大阪府大東市

出身校 履正社高等学校

187㎝/97kg

右投/右打

ドラフト2位

小学2年生の時に「ANTブルージェイズ」に入団しソフトボールを始める事に。

大東市立南郷中学校から野球に転向、「東大阪シニア」でプレー。

主に捕手を務めていました。

そこで力を付けると名門・履正社高校に進学。

井上選手は山田哲人選手を憧れの選手に挙げており、それもあって履正社高校を選択。

2年秋の新チームから4番を任されるなど主砲として地位を築き上げ、3年春には甲子園に出場。

しかし初戦、奥川恭伸率いる星稜高校との対戦、奥川投手に完封負けを喫してしまいました。

3年夏はリベンジを果たすべく2度目の甲子園出場を果たすと決勝まで登り詰め、再び奥川投手と相対しました。

そして自身、奥川投手から3ランホームランを放つ活躍を見せ、雪辱を果たすと共に履正社高校の甲子園優勝に貢献しました。

高校通算49本塁打を放ち、甲子園での活躍から阪神タイガースに2位指名を受け、入団。

井上選手の出身地は阪神のお膝元であり、また甲子園のスターである事から運命的な入団となりました。

契約金6000万、年俸720万、背番号は「32」に決定。

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井上選手の家族構成

さて、ここからは井上選手の家族についてです!

まず井上家は3人暮らし、その内訳は

母:貴美さん

弟:祐榮(しゅうえい)くん

兄:広大選手

となっています!

弟は8歳年が離れているという事で結構な年の差です。中々難しい漢字ですが良い名前を貰っていますね。

父親はいない?

井上選手には父親がいないという事は分かっているのですが、その理由については明らかになっていません。

井上選手は小学2年生の時には野球チームに所属しており、また、2年生となると8歳ですから祐榮くんも生まれる頃ですしその時にはまだ父親はいたはずです。

他界されたのか、離婚してしまったのかは定かではありませんが、女手一つで二人の子供を育てる事になった貴美さんは大きな経済力を失ったにもかかわらず家族を養い井上選手をプロにまで導いた地力の強さには驚かされますね。

強い愛情あっての事だと思いますし井上選手が母親への愛を隠し切れないのも頷けます。

井上選手の性格

父親がいない事もあり、8歳年の離れた弟には父親代わりとして面倒見の良い一面を見せていました。

放課後、友達と遊んでいる時でも保育園にいる祐榮くんの送り迎えをちゃんとする良いお兄ちゃんだったそうです。

人当たりの良さそうな雰囲気は初めてのヒーローインタビューの際の話し方で察せられます。

非情に母親想いであり純朴な少年という印象。

母親想いの一面はこんな話からも。

「弁当も洗濯も母親任せ、なんでも自分のやりたいようにさせてくれて感謝しかない。ゆくゆくはプロに行って生活を支えたい」

野球に専念させるため貴美さんは家事を一手に引き受けてくれたそうですが、それに感謝と申し訳なさを感じていた井上選手。

その分、プロに入って活躍し恩返しするという強い気持ちを抱いており、母親に対する強い絆を感じさせました。

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家族とのエピソード

母の手料理

井上選手が履正社高校で4番にまで成長した影では母、貴美さんの支えが大きいです。

中でも食事については管理栄養士さんから

「筋肉を消耗させないよう、3食の合間にも捕食を取るように」

とアドバイスされ、お弁当以外にも

おにぎり5つ・パン4つを練習中にほおばるようになりました。

ビタミン不足も指摘された事から家にミカンを用意するなど食事面でのサポートを徹底。

高校3年生に長打力をアップさせた井上選手は

「食事の影響も大きい。太田さん(管理栄養士)の指導と母の手料理のおかげ」

とコメントを残しています。

 

母の叱責

井上選手は春の選抜で星稜、奥川投手に完敗した際、落ち込んだり不機嫌な態度になっていた事があったそいうですが

その際、貴美さんから

「野球やめたらええやん。袋に道具まとめて捨てなさい」

と厳しい言葉を掛けられたそうです。

叱責を受けた井上選手は当時の事を振り返りながら

「その時は嫌になったけど、ちゃんと頑張らないといかんと思うようになりました」

と奮起したそうです。

その後、夏にはリベンジを果たし決勝で星稜戦・先発の奥川投手を破って優勝するのですから素晴らしいアシストとなりました。

母、貴美さんは普段は口出しはしないそうですが子供の気持ちを察していざと言う時にキチンと声をかけてあげられるというのは素晴らしいですね。

 

進路について

井上選手は中学時代、進路について履正社高校を選びましたが憧れの山田哲人の所属していたチームという事で選んだのもそうなのですが

もう一つは母親に心配をかけまいとする想いから選んだとも言われています。

当時の事について東大阪シニアの柳井総監督は

「母親想いで心配かけたらいけないという思いがあったんじゃないか」

と振り返っています。

「進路の相談になった時も、母親に迷惑がかかると思って、寮に入る他府県の私立は渋っていた。だから履正社へ背中を押してあげた」

とコメントを残しています。

女手一つで育ててくれた母のため、そして8つ離れた弟の存在もあって自宅から通える高校を選んだとの事ですが

野球を続けてこられたのは自分ひとりによる事ではないという事ですかね。

また、高校1年生の時に

冠と監督、コーチとの面談で

「卒業したら社会人かプロに就職します」

と決意を語っています。

「大学に行ったら負担をかけてしまうので。自分が野球をして面倒を見るという気持ちと覚悟を持って野球をしたいです」

今度は自分が、野球で家族を支えるという強い気持ちを露わにした井上選手ですが、この年で大きなものを背負って戦っているのは本当に凄いです。

恰幅の良さは野球選手としてスケールの大きさを表しているだけではなく精神的にも大きな器量を持っている事を感じさせます。

将来性豊かな若きスラッガーの今後の行く末が本当に楽しみですね!

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まとめ

今回は井上選手の家族についてのお話でした!

野球選手としてスケールの大きさを感じさせる井上選手ですが、プロに至るまでの経緯を知るとさらに応援したくなりますね。

ゆくゆくは阪神の4番を担う素晴らしい選手になってもらいたいです!

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