今回は五十幡亮汰選手の学生時代についてご紹介したいと思います!
五十幡選手は超が付くほどの俊足の持ち主で、その脚力と守備でドラフト上位候補として名を連ねる程。
そんな五十幡選手は中学時代、野球の他に陸上部に所属していました。
その際、大会でサニブラウン選手と対戦し勝利したのですがテレビ番組「消えた天才」で紹介されていました。
陸上界の期待の選手として名前が挙がるも野球に転向した理由について語られていますがその理由についてをお話したいと思います!
また、家族・母親についても!
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五十幡選手のプロフィール
生年月日 1998年11月27日 出身 埼玉県行田市 出身校 佐野日大高等学校、中央大学 172㎝/67kg 右投/左打
五十幡 サニブラウンに勝った『消えた天才』に出演!
50m5秒6、一塁到達3.8秒、三塁到達10.7秒という俊足の持ち主の五十幡選手ですが
中学時代は陸上部に所属しており、全国大会に出場。
100mと200mに出場。
200mは21秒81という数字を残して優勝。
僅か0.04秒遅れで到達したのがサニブラウン選手でした。
100mでも五十幡選手は10秒92をマークして優勝。
サニブラウン選手は10秒97でした。
陸上界から当然、注目されスカウトもありましたが五十幡選手は野球の道へ進みます。
その事から『消えた天才』として番組で取り上げられました。
当時の五十幡選手の走りを見て青山学院大学・陸上部の原監督は
「足の回転が素晴らしい。全国レベルで見ても群を抜いている」
と高い評価を下すなど天性の脚力を評価されています。
また、陸上競技の日本代表、藤光選手は
「優勝はしたものの、まだまだ粗削りな印象を受けた。これから練習を重ねればもっと活躍できる選手になると思いまいした」
と伸びしろを評価。
五十幡選手 陸上辞めて野球転向した理由は?
「高校では陸上をしません。僕は野球をします」
五十幡選手は高校に進学して以降、突如として陸上界から姿を消します。
その理由として、亡き母との約束がありました。
五十幡選手の母親について
五十幡選手は小学1年生の時に「行田東フェニックス」で野球を始めます。
当時、母は息子が野球をする姿を見るのが大好きで楽しみにしていました。
しかし五十幡選手が小学3年生の時、母はガンで他界。
入退院を繰り返す容態だったのですが、一時帰宅中に亡くなりました。
当時、五十幡選手は
「何が起きたか分からなかった」
と話し、一時は野球も辞めようかとも思ったそうですが
母が最期に残した手紙に書かれていた
「夢をかなえて」
という言葉で気持ちを改めます。
五十幡選手は
「お母さんは自分が野球をやってる姿が好きだった。約束した夢、絶対にかなえないと」
と語っています。
陸上部は野球のため
中学時代、陸上部に入ったのは「野球の役に立つかもしれない」という思いからでした。
五十幡選手の中では進むべき道は決まっており、野球を中心とした考えだったので陸上を辞めた事に全く迷いはなかったそうです。
サニブラウンに勝ってしまう程の逸材ですが母との約束を叶えるため、プロ野球選手になる事を目標にまい進した結果だった訳です。
五十幡選手 家族について
母の約束を叶えるため、家族ぐるみで五十幡選手の野球をサポートする事に。
五十幡選手には父親と1歳年上の姉がいます。
中学時代に所属していた東京神宮シニアの練習場までは自宅から1時間だったそうですが、仕事疲れもあったものの毎週末送迎してくれていたそうです。時には朝4時に家を出る事もありました。
気が付けば自分優先の生活になっており、休みの日でも姉は父と一緒に出掛ける事も出来ず。
そんな環境に五十幡選手は申し訳なさを感じていました。
その想いがプロ入りを目指す原動力となっており、
「必ずプロ野球選手になって恩返ししたい気持ちで一杯です」
と語っていました。
10月26日、ドラフト会議2020にて
日本ハムが2巡目で指名、見事に母との約束を叶えました!
これからはプロで活躍して天国に良い報告を届けて欲しいですね。
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まとめ
五十幡選手は、亡き母の約束を叶えるためにプロ野球選手を目指した訳ですが
今度はプロでたくさん活躍して楽しい話題を天国に届けてもらいたいですね。