阪神タイガース、梅野隆太郎が結婚!
嫁・奥さんはどんな人なのか。馴れ初めについてご紹介!
また、梅野選手はプロ入りが決まった直後に
「お母さんありがとう」という番組で母との約束について取り上げられています。
プロ野球選手には壮絶な家庭の中で過ごした選手が少なくありませんが梅野選手も、家庭で波乱のあった一人。
母との約束についてや、またプロ入りしてから父・義隆さんから手紙が送られてきた梅野選手。
義隆さんは妻から梅野選手をプロ野球選手になれるよう想いを託され、男手一つで育ててきましたがプロで活躍した梅野選手について
胸中を綴った手紙を送っていました。
その手紙の内容から親子の絆、愛を感じ家族の支えがあって今の梅野選手がある事が分かります。
梅野選手と家族の温かいエピソードを紹介したいと思います。
スポンサーリンク目次
梅野選手が結婚!嫁・奥さんはどんな人?馴れ初めは?プロポーズが素敵!子供はいる?
2017年3月20日、福岡県出身の一般女性の方と結婚した事をは発表しました!
小学4年生の時に卵巣ガンで他界した母・啓子さん(享年34)の50回目の誕生日となる3月21日に、恩返しを込めて婚姻届けを提出。
梅野選手は結婚について、改めて母への感謝を口にしました。
「母がいなければ、こうやって毎日、ユニホームを着て、野球をできていない。プロ野球選手になれたことも、結婚できることも、すべては産んでくれた母のおかげ。感謝の思いしかない。開幕前という大事な時期ですが、母の誕生日に婚姻届を提出して、自分の中で、今季に懸ける気持ちも、より強くなっている。母も、きっと喜んでくれていると思います」
出展元:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/03/21/kiji/20170321s00001173062000c.html
母への愛を感じますね。きっと想いは伝わっていると思います。
嫁・奥さんはどんな人?
梅野選手の2歳年上の方で同じ福岡出身。
一般女性の方で仕事は美容師をしていました。
奥さんについてはほとんど情報が明かされておらず、名前も分からないのですが二人が出会ったのは梅野選手が大学3年生だった頃なので
プロ選手だから近づいてきた、という感じではなさそう。
馴れ初めは?
梅野選手が大学3年生の時、2012年の夏に知人の紹介で出会いました。
当時、彼女は社会人でした。
梅野選手は初め見た時の印象として
「年上で社会人だったし大人の女性だった」
と好感を持ち秋には付き合うようになりました。
彼女は当時、美容師として働いていたのですが2016年、梅野選手がプロ入り3年目の時には芦屋市内で一緒に暮らしはじめた事をキッカケに
専業主婦に専念し、全面サポートする事を決意したそうで
「アスリートフードマイスター」の資格も取得したそうです。
プロポーズが素敵!
プロポーズをしたのは梅野選手の方からでした。
2017年1月、5月で28歳になる彼女に28本のバラを渡し
「結婚してください」
とプロポーズ。
野球選手はおしゃれが苦手な人が多い中でバラを用意する辺り、梅野選手の情熱が伝わってきます。
勿論、プロポーズは成功し結婚に至ります。
「野球に集中できる環境を作ってもらってるし、その分、結果を残さないといけない。もう独りじゃないんで」
と結婚を機に大黒柱としての自覚をにじませた梅野選手ですがこの言葉通り
2019年より、絶対的な正捕手としてブレイクを果たします。
奥さんの内助の功があったのかなと思いますしこれからも活躍して家族を支えてもらいたいですね。
子供はいる?
結婚して以降、正捕手としてレギュラーも掴んでおり、2019年オフには自身も目標にしていた
年俸1億という大台に乗せ、チームの顔となりました。
子供を作る余裕はあると思いますが、今のところそうした情報は入っていません。
同じチームメイトであり、同ポジションの原口選手は2020年に第二子の女の子が産まれた事を発表していますし
梅野選手もそろそろ時期的には子供が産まれても不思議はないのかなと思いますが。

母との約束
母・啓子さんは梅野選手が小学4年生の時に卵巣がんで他界しています。
以前にもガンを患っていたそうで、再発した際に父・義隆さんは医者から「余命2か月」と宣告されたそうです。
義隆さんはその事実を息子に知らせる事はありませんでした。
啓子さんは最後を息子たちと一緒に過ごしたいと、一時退院の許可をもらいましたが容態が悪化して再入院。
入院生活の時に日記をつける事にしたそうですが日記には
「子供たちに熱があるのに私は病院。母親なのに子供たちについてあげられない自分が悲しい」
「隆太郎が16対0でコールド勝ちしたそう。がんばったね」
などと書かれていたそうです。
母親として、家族のそばにいてあげられない苦悶がつづられていたほか、息子の愛情を感じる言葉まで。
本当に良き母であり妻だったのかなと思います。
啓子さんは義隆さんに
「隆太郎をプロ野球選手にしてください」
とお願いを残したそう。
その言葉通り、義隆さんは男手一つで梅野選手をプロ野球選手へと導きました。
プロ入りの際に見出しとなった新聞の記事や、プロ入り初安打を放った記念球を墓前に添えました。
今では立派な正捕手として阪神の看板選手となり、沢山の嬉しい話題を作ってきましたしその活躍はきっと天国にも届いていると思います。
父の手紙について
2019年、梅野選手が正捕手として活躍しチームの顔として活躍する中、父から一通の手紙が届きました。
プロ野球選手として立派に成長した梅野選手へのねぎらいの言葉や父親としての顔をのぞかせるなど沢山の想いが詰まっている中で一際気を引いたのが啓子さんとの約束について。
梅野選手をプロ野球選手にするために奮闘した父の覚悟がそこには綴られていました。
隆太郎へ-
28歳の誕生日が来て、早いもんでもう、シーズンも折り返しか。今年はここまでサイクルヒットもそうだし、福岡での凱旋ヒーローもあったな。2回目のオールスター出場もおめでとう。あ、あとあれか。足の骨折。写メ送ってきただろう。腫れた指の写真。もう俺、あれ見たときに今年は終わったと思ったよ、今だから言うけどな。ケガの功名ってやつかな。そこから調子が上がってきて、こっちもビックリだよ。
隆太郎が関西に行って、もう6年か。毎日テレビで試合を見るっていうのが、今の俺の日課になったよ。仕事終わって、座ってな。酒飲みながら見るってのが、親父の楽しみです。仏壇にお母さんの写真があるだろう?あれさ、ちょっと斜めに向けてあって、テレビが見えるようにしてあってな。隆太郎が打ったら、俺も横向いて「おい打ったで」って会話しとるよ。
仕事が忙しくて見られない土曜のデーゲームなんかも、録画して見とる。でも今の時代、結果はすぐにわかるから。隆太郎が打ててなかったら、親父は悔しいから、見ずに真っすぐ寝てます(笑)。一日一善じゃないけどな。“一日一本”。それが打てればいいなと思って毎日、隆太郎の様子はチェックしてます。
お母さんが亡くなってからは、本当に必死だった。隆太郎もまだ小学4年生。最後の最後に、「隆太郎をプロ野球選手にしてください。もう私はダメだから」って言うもんだから…。練習終わってからも、試合でどれだけ疲れていても、病院まで顔見せに行ってたから。親は大きな夢の一つや二つ、見ちゃうもんだよな。そのときお母さんには、無理って言ったんだけどね。でも頑張ってみようかって。隆太郎は運がいいからな。俺も、もしかしたらって思ったよ。
それからは、俺も野球バカになったわ。野球のことで怒ったことなんて、一度だってないだろう。今日はどうだったって話しながら食う飯は、ものすごくおいしくて楽しかったから。打ったらよし、悪かったらしゃーないって。それが決まり文句になって、隆太郎との思い出は野球のことばっかりだよ。
隆太郎は覚えているだろうか。体育祭の団長を断らせたことを。
当時の俺は、お母さんの夢に少しでも近づけようと、ただただ必死でな。どうやって毎日過ごしてきたのか、記憶にないくらいなんだけど。いつだっただろうか。隆太郎が、体育祭の応援団長になったって帰ってきてね。それを聞くなり、俺は「そんなもんやるな」、「今すぐ断ってこい」って言ったんだ。
隆太郎は恨んでるかもしれないな。でも俺も必死だったよ。中学校から電話もかかってきて、「何でなんですか」って言われたりもした。実はあの後、PTAの会合で俺、めちゃくちゃ文句言われたらしいぞ。最悪な親父になったわけだ(笑)。でも日曜日の練習に、応援団長なら行かないといかん。野球だってある、それにキャッチャーは隆太郎しかおらん。俺の中では、野球以外の選択肢はなかったんだ。ごめんな。
夢をかなえて、今ではチームを背負って。今度はファンの人に愛されて、2回目のオールスター出場か。甲子園での開催。これも何かの縁だろう。選ばれる前から、「せっかくやけん。おいでや」って言ってくれたのはうれしかったなぁ。
義隆と隆太郎。
お前が生まれたとき、お母さんが「長男なんだから、俺の名前から一文字取ったら」って言ってくれた。最近では顔も似てきたって言われるぞ。帰ってくる度に、連れてってくれる食事や買い物。ゴルフもか。俺が肩上がらんって言ってるのに、お前は動けばなんとかなるって言うし。
でも、そんなささいな時間でも一緒に過ごせるだけ、うれしいよ。ボールをぶつけられれば、テレビに向かって怒鳴る。一人で叫んでるわ。それくらい息子っていうのは、いくつになってもかわいいもんだな。ケガに気をつけて頑張るように。打率3割を目指して頑張れよ、隆太郎はもっている男なんだから。
出展元:https://www.daily.co.jp/tigers/2019/06/28/0012465967.shtml
プロ野球選手を育てるのも難しいのに、男手一つで育てるというのも相当な苦労だったと思いますが、啓子さんの約束を見事果たし、こうして素晴らしい選手になってくれたのですから
すごく報われたのかなと思います。
結婚もしましたし、あとは身体を大事にして健康でいてもらえたら両親も心配はありませんね。
スポンサーリンクまとめ
ファンの視点では、選手のほとんどを外側しか見る事ができず、その選手の歩んできた人生についてあまり知る機会はありません。
梅野選手にはこうした人生があり、それを踏まえてプロ野球選手になっている事を考えると容易く批判はできないですね、、、
梅野選手はもはや球界を代表する名捕手。
自慢の息子として素晴らしい活躍を続けていますが、これからも天国へ良い話題を届けてもらいたいですね!
では、今回は以上でお話を終わりたいと思います!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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